第8話
続「メディアが現実をつくりだす?
〜擬似イベント、ヴァーチャル・リアリティ、ハイパーリアリティ〜」
声の出演
ナニ:佐藤ひとみ
教授:内屋敷保
ヤン:金千秋
原作/脚本 山中速人
構成/編集 金千秋
○ モノローグ
先週に続いて、「メディアが現実をつくりだす?〜擬似イベント、ヴァーチャル・リアリティ、ハイパーリアリティ〜」の番組は続きます。メディアが作り出す世界は偽物なのか、もしそれが正しいとしても、それじゃ、本物と偽物の違いって何なのだろう? その疑問について、さらに教授は話し続けます。
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こちら 教授
そうなんだ。なにが本物で、何が偽物か。こんがらがってるよね。
ここで、もうひとつ例を出そうか。東京ディズニーランド*11のウエスタンランドは、アメリカにあるディズニーランド*12のフロンティアランドをコピーしたものだから、ウエスタンランドは偽物で、フロンティアランドが本物ということになるよね。しかし、それでは、アメリカのディズニーランドのフロンティアランドは本物か。アメリカ史に実在した西部こそ本物だと考えれば、ディズニーランドにあるフロンティアランドはコピー、つまり偽物だということになる。しかし、ディズニーランドというテーマパークとして、そこにオリジナルな価値を認めるとすれば、それらはすべてディズニー作品として本物ということになる。
つまり、本物か偽物かを判断する基準は、オリジナルとコピーの区別ではない。そもそも、レコードを作ったり、放送したり、インターネットでストリームしたりなどというような、「メディア化する」行為にはそれぞれ別々の意味がある。つまり、メディアを作るということは、本物から偽物をつくることではなく、別のあたらしい作品を社会におくりだすことなんだ。
ナニ
そうか。ホノルルに住んでいたとき、コリアンの友だちがいたの。キッチンでインスタントラーメンを作っていたら、その子が、コリアでは袋入りの乾麺が本物のラーメンだっていうの。でも、日本じゃ、袋入りの乾麺はあくまでインスタントで、本物のラーメンは生麺なんだよね。でも、それじゃ、コリアのラーメンが偽物かというと、それはそれで本物なんだよ。つまり、同じ袋入り乾麺でも、日本からコリアへとラーメンのレセピが変わることで、偽物になるんじゃなくて、名前は同じ別の新しい食べ物に変わるということなんだ。
教授
そのとおり。ちなみにぼくは韓国式のラーメンも好きだよ。
さて、日本と韓国でラーメンが違っているのは、ラーメンに使われている食材や調味料などレシピが違うからだよね。このように違ったラーメンが生み出されるのは、違ったレセピがあるからだよね。これを記号学の視点でみると、食材の組み合わせとしてのラーメンに当たるのがコードで、その組み立て法であるレセピがコーディング・システムということになる。
ナニ
コードとコーディング・システム? うーん難しそう。ナニ風にいえば、こういうことかしら。たとえば、ギターを弾くときは、和音をCとかFとかG7とかの記号で表すんだけれど、この記号がコードね。でも、「C」という記号をド・ミ・ソの和音のことにしようというルールが分からないと、「C」の意味か分からない。だから、誰が決めたか知らないけれど、ド・ミ・ソをCで表すというルールがコーディング・システムってわけね。
教授
なかなかうまい説明だね。そう考えると分かりやすいね。
これをメディアに当てはめると、CDでも、DVDでも、テレビ番組でも、いやもっと広く考えて、現代の社会の中に生み出されるさまざまな情報は、すべて記号の組み合わせ、つまりコードを作り出していくことだといっていい。
フランスの社会学者のジャン・ボードリヤール*13は、このように、コードとしての情報を作り出す行為全般をシミュレーション*14と名付けた。そして、メディアによってシミュレーションされることで、本当はメディアの中の世界なのに、実在するかのようにみえる世界をシミュラークル*15と定義したんだ。分かりやすい例を挙げれば、マトリックスという映画*16に描かれる仮想現実の世界を想像してみればいい。
電子化されたメディア社会の中では、たんに人びとの生活がシミュラークルに取り囲まれていくだけではなくて、シミュラークルとしての感覚世界はどんどん増殖していって、人びとは、視覚や聴覚だけではなく、脳に直接刺激を与えるようなより強い感覚を求めるようになっていく。現実の世界からうける刺激をはるかに超えるような強い感覚。ボードリヤールはそのような感覚によってもたらされる知覚をハイパーリアリティ*17と名付けた。
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こちら ナニ
ハイパーリアリティ? 超すごいリアリティ?
教授
ほらヴァーチャル・リアリティの装置の中では、ものすごい速さで宇宙を移動したり、真っ赤に解けた火山のマグマの中に入っていったり、現実では不可能な体験をコンピュータによってシミュレートできるよね。このはるかに現実をこえた疑似体験によって得られる感覚や知覚のことを想像すれば、ハイパーリアリティのことがだいたい分かるかな。
そして、ボードリヤールは、さらに考えを進めて、情報や知識の電子化が急速に進む現代社会では、人間の社会生活を支えている現実感自体が、このハイパーリアリティにとって変わられようとしているのではないかと考えたんだ。そして、その考え方をさらに進めて、現実とはシミュレーションの一つの形にすぎないのではないかと考えた。
ナニ
そうか、わたしたちが現実だと思っているものは、実は、メディアによって仮想的に作り出されているものかもしれないというわけね。というか、何が現実でなにがハイパーリアルなものか、現在の世の中では、もうごちゃごちゃに入り交じって、区別が付かなくなってしまっている、いや、そもそもそんな区別なんか意味なくなってるのかもしれない。
教授
ボードリヤールの有名な著作に、『湾岸戦争は起こらなかった』*18という本がある。これはある種の逆説を含んだ言い方なのだけれど、アメリカが一九九二年にイラクに対して始めた湾岸戦争の際、メディアを動員してまるでテレビゲームのようなピンポイント爆撃*19の映像ばかり公開して、クリーンな戦争を演出した。一方、イラクのフセイン大統領*20もメディアを意識して、人質をとったり、自分の軍隊の強さを演出するような映像を流したりと、情報操作をやった。人びとの戦争に対する現実感は、この2つのイメージの間で揺らいでいった。メディアが伝える戦争は、すべてシミュラークルでしかない。しかし、といって、実際にどんな戦争が行われているのか、なにが現実なのか、それを問うことが可能なのか、そうボードリヤールは批評した。
このボードリヤールの批評は、メディアをもうひとつの戦場として戦われる現代の戦争の性質をよく見抜いていたんだ。
ナニ
でも、湾岸戦争がなかったというのは、なんだかちょっといいすぎのような気がする。だって、実際、湾岸戦争で使われた爆弾の大半は、ピンポイント爆弾なんかじゃなくて、一般市民の頭の上から大量にばらまかれる通常爆弾だったっていうじゃない。。
教授
そう。たしかにボードリヤールの「湾岸戦争はなかった」という議論については批判があるんだ。*21ボードリヤールの議論がなりたつ世界は、物ごとの真実と虚偽の区別が意味をもたない世界だということになるから、たとえば、戦争や貧困の原因について、なにが真実かを究明しようとする努力も無駄なことになってしまうからね。
ジャーナリズムの世界では、真実が何かを追求することが使命だと信じられてきた。しかし、今度のイラク戦争がはじまったとき、アメリカのジャーナリズムでは、まるでそんなことは無意味であるかのように、自分の国の軍隊にばかり身びいきした報道が目立った。多くのアメリカの放送局が、真実と虚偽とを区別することは本質的にできない。なにが真実でなにが虚偽なのかは、立場によって違うんだから、アメリカの立場から報道すればいいんだと、開き直ってしまったんだね。
ナニ
ヴェトナム戦争のとき、アメリカのジャーナリストたちは、悲惨な戦争を現場から報道して、戦争反対の世論を盛り上げたって父から聞いた。そんなアメリカのジャーナリスト*24を尊敬したって。
教授
そうなんだ。それとイラク戦争の報道は真逆になってしまった。なぜそんなことになってしまったかについては、アメリカのメディア事情も関係している。一九八〇年代、当時のレーガン大統領の規制緩和政策*25が国民の支持を集めていた。政府の干渉を受けないはずの独立機関であるアメリカ連邦通信委員会も、規制緩和の一環として放送事業に対して課していた公平原則*25-2、つまり不偏不党で客観的な報道をしなければならないという原則を廃止してしまった。その後、さらに規制緩和は進み、自由にメディアを買収できるようになった。その結果、四大テレビ・ネットワークは、大きな資本に買収され、テレビ、映画、テレビゲームなど、いろんな種類のメディアを傘下におさめるメディア・コングロマリット*26と呼ばれる巨大資本が生まれていった。
アメリカのテレビは、ビジネス優先、娯楽優先の情報産業になっていった。イラク戦争では、当初いけいけどんどんのアメリカ軍の進撃を報道すれば、視聴率が上がるということで、テレビは次々と政府に迎合していったんだ。
こんな現状の中で、ボードリヤールが、すべでがシミュラークルだと主張することは、真実を追求するというジャーナリスト精神をくじいてしまったとも言えるかもしれないね。
ナニ
メディアが作り出す世界を現実としながら、わたしたちが生きているということはよく分かったわ。でも、だからといって、どんな現実でも同じことなんだと言うことにはならないと思うの。今、目の前に見えている現実をきっちりとチェックすることが大切だと思う。それは、目にみえている現実が誰によって都合良く動かされているのか、情報をコントロールすることで何が隠されようとしているのかをみやぶることなんだと思うよ。そうしないかぎり、結局、わたしたちは、自分たちにとって一番惨めな現実しか手にすることができないんじゃないかしら。
みんなどう思う? 今週はこれでおしまいです。また、来週、聴いてね。
◆語句解説
東京ディズニーランド*11 千葉県浦安市に一九八三年に開設されたテーマパーク。アメリカのウォルト・ディズニー・カンパニーとの資本関係はなく、株式会社オリエンタルランドが経営している。ウエスタンランドは、アメリカのディズニーランドのフロンティアランドをまねて開拓時代のアメリカ西部の町並みを再現したテーマランド。
アメリカにあるディズニーランド*12 漫画家ウォルト・ディズニーがカリフォルニア州ロサンゼルス郊外に一九五五年に開園したテーマパーク。フロンティアランドは、アメリカの開拓時代をテーマとして、アメリカ川を中心にビッグサンダー・マウンテンなどのアトラクションが配置されている。
ジャン・ボードリヤール*13 (Jean Baudrillard)一九二九〜二〇〇七年。ポストモダニズムを代表するフランスの思想家、社会学者。主著に、『物の体系−記号の消費』(一九六八年)『シミュラークルとシミュレーション』(一九八一年)『湾岸戦争は起こらなかった』(一九九一年)など多数。
シミュレーション*14 (simulation)
シミュラークル*15 (simulacres)
マトリックス*16 原題The Matrix。ウォシャウスキー兄弟が監督した一九九九年製作のアメリカ映画。人類を仮想現実空間に幽閉し支配するコンピュータを相手に戦いを挑む勇士たちを描いたSF。
ハイパーリアリティ*17 (hyper reality)
『湾岸戦争は起こらなかった』*18 原題la Guerre du Golfe n'a pas eu lieu(1991)
ピンポイント爆撃*19 目標とする軍事施設のみ破壊することを目的として行われる爆撃のこと。絨毯爆撃の反対語。
サダム・フセイン*20 (Saddam Hussein)一九三七〜二〇〇六年。イラク共和国の大統領、革命政党であるバアス党の指導者。イラク戦争でバクダッド陥落の後、逃亡したが、アメリカ軍によって発見され、特別法廷で死刑宣告の後、処刑された。
「湾岸戦争はなかった」という議論については批判があるんだ。*21
頭文字がFからはじまる某放送局*22 FOXニュース(FOX NEWS)二〇世紀フォックスグループの一角を占めるニュース専門のテレビチャンネル。
ベトナム戦争のときのアメリカのジャーナリズム*23 ベトナム戦争では、当事国のすべてがカメラマンや新聞記者などのジャーナリストの取材を許可したこともあって、多くのジャーナリストが従軍し、双方の側から公平に戦場の様子を直に取材し一般大衆に伝えた。
アメリカのジャーナリスト*24 たとえば、『ベトナム戦争』(一九六八年)を書いたジャーナリストのデイヴィッド・ハルバースタム(David Halberstam)一九三四〜二〇〇七年、や写真集『ベトナム』(一九七二年)のカメラマンのデイヴィッド・ケナリー(David Hume Kennerly)などベトナム戦争を取材した優れたジャーナリストたちがいた。
レーガン大統領の規制緩和政策*25 レーガン政権は発足直後の一九八一年に、歳出削減、大幅減税、規制緩和、安定的な金融政策の4本柱から成る米国経済再生計画を打ち出した。
公平原則*25-2 (Fairness Doctrine)連邦通信委員会が一九四九年に独自に定めた規則で、「電波の希少性」を根拠に、放送内容に公平性を求める原則。八五年に行われた撤廃の背景は、多チャンネルなケーブルテレビの普及によって「電波の希少性」の根拠が失われたこと。
メディア・コングロマリット*26 複数のメディアを集中して所有する企業複合体。現在、「タイム・ワーナー」「ディズニー」「ニューズ・コーポレーション」「ベルテルスマンAG」「NBCユニバーサル(ゼネラルエレクトリック)」「CBS」「バイアコム」の七大コングロマリットが世界のメディアの約九〇%以上を占めているといわれる。