2011年01月19日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室3年制作番組「震災後、それぞれの軌跡」第5回

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第5回神戸市須磨区順照寺住職 善本秀樹さん
担当関西学院大学総合制作学部 北田知美
◆トーク1
・浄土真宗本願寺派順照寺の紹介
・インタビュー対象者、善本秀樹さんの紹介
・地震の被害状況
◆トーク2
・自分自身にとっての阪神大震災
・インタビューした理由
残された人の「死」への向き合い方
住職ならではのお話を聞きたい
・震災当時の様子
・人の死を間近に経験した記憶
・「地獄はこの世にある」
・マスコミ報道と現実の差が大きい
・お寺の再建まで
・「地域に広く開かれたお寺に」
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◆トーク3
・震災、復興を経て考えた事
人は死ぬ 震災はある
・お通夜をした
・順照寺での震災法要
震災を忘れないように
命の大切さ 震災で亡くなった方の無念を伝える
・神戸はまだ復興したわけではない
◆トーク4
・伝えることとは何か
・震災を知らない世代の人に伝えていく事が大切
・震災に備えて大切なのは「コミュニティ」
・皆なかよくしよう
・まとめ


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2011年01月11日

関西学院大学総合政策学部山中研究室3年生制作番組「震災後、それぞれの軌跡」第4回

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第4回 李玉順さん 
担当関西学院大学総合制作学部3年朴史帆(ぱく・さぼん)
◆トーク1
関西学院大学総合政策学部3回生の朴史帆です。番組のテーマは「在日コリアンからみた震災の傷跡」です。李玉順さんに阪神淡路大震災からのこの16年間の歩みについて取材しました。
◆トーク2
震災当時の状況について。李さんは崩壊した町並みを見て、日本が滅んでしまったと錯覚されたそうです。その当時の緊迫した状況について李さんは詳しく話してくださいました。
◆トーク3
避難所での生活について。避難所での名前登録の際に本名ではなく、通称名を選んだという李さん。当時差別を恐れた李さんの在日コリアンとしての葛藤が切実に伝わってきました。
◆トーク4
震災は「人生の再生」だったと話される李さん。震災を通じて改めて人との関わりの大切さを知ることができたとおっしゃいます。震災は確かに大きな傷跡を残しました。しかし、それとはまた逆に長田の人々に大きな絆を生むきっかけになったと笑顔で話す李さんを見て、改めて震災がもたらしたものの大きさを知ることができました。
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2011年01月04日

関西学院大学総合総合政策学部山中研究室3年制作番組『震災後、それぞれの軌跡』第3回

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第3回 新生屋さん店主 藤本幸二さん
担当完成学院大学総合政策学部3年 佐藤あゆみ
◆Talk1
・兵庫県伊丹市での私の震災体験
・インタビュー対象者、新星屋のご主人藤本幸二さんの紹介
・震災当時の高取商店街付近の様子
◆Talk2
・仮設での店舗開店
・震災後減った商店街の店舗数、店舗同士の交流
・長い年月を経ても尚、思い出す震災の記憶
◆Talk3
鷹取商店街と地元の人々
被災当時幼かった私にはわからなかった見方で震災を振り返ることが出来ました。
同じ関西地区でも、様々な人が様々な場所で体験した震災。これからも一月になると、私はきっと思い出すでしょう。
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2010年12月28日

関西学院大学総合政策学部山中研究室3年制作番組『震災後、それぞれの軌跡』第2回

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担当関西学院大学総合政策学部3年 大洋慧実
第2回 カトリックたかとり教会信者 川福久男さん
【talk1】
・今回のテーマについて
・焦点を当てる取材対象者について
・川福さんの紹介など
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【talk2】
・川福さんの体験談
 −当時の様子
 −支援活動の状況
・川福さんが支援者の立場になった経緯1

【talk3】
・川福さんが支援者の立場になった経緯2
・川福さんから見た震災の受け止め方
 −災害が招く格差
 −ボランティアの存在意義
・川福さんが震災から得たもの
【talk4】
・川福さんから、これからの「支援者」へのメッセージ
・まとめなど
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2010年12月24日

関西学院大学総合政策学部山中研究室3年生制作番組『震災後、それぞれの軌跡』第1回

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担当関西学院大学総合政策学部山中研究室3年 槇野晴佳
第1回 神戸市職員 觜本郁(はしもとかおる)さん
◆トーク1
觜本郁さんの震災直後の活動についてお話を伺いました。觜本さんは震災直後に王子スポーツセンターの遺体安置所に行き、遺体処理のお手伝いをしていたそうです。その時の状況についてお話しをしていただきました。
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◆トーク2
震災直後の遺体処理の仕方についてのマニュアルというのはないので、觜本さんがどのように行動するように心がけていたのかについてのお話しと、市の職員としての被災者の方に対する対応についてのお話しをしていただきました。
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◆トーク3
ホームレスの方に対するボランティア活動についてのお話しをしていただきました。
また最後にまとめとして役所の視点だけで相談を聞くのではなく、現場に行き信頼関係を得て相談を聞くことが大切だということのお話しをしていただきました。
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2010年12月16日

関西学院大学総合政策学部山中研究室卒業制作第11回

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「私の就職活動体験談」
担当関西学院大学総合政策学部4年 久保直大
◆オープニングトーク1 就職活動のことについて、テーマを選んだ理由と番組全体の構成についての説明。
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◆トーク2 今の就職活動の現状と私の就職活動の振り返り。
◆トーク3 就職活動の大変さを私の体験を交えて具体的に説明、その具体例として1、経済的負担 2、面接における本音と建て前のバランス

◆トーク4 採用担当者のインタビュー録音。学生である私の側の視点と企業の採用側の視点、双方の視点で今の就職活動の現状についての検証。
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2010年12月07日

関西学院大学総合政策学部山中研究室卒業制作第10回

101207_nagamine1.jpg「私の初めての国際交流、あるインド人の人生」
担当関西学院大学総合政策学部4年 長嶺圭佑
◆トーク1
今回の番組のテーマは「私の初めての国際交流。あるインド人の人生」です。外国人とまともに会話した事のない私が、この番組をきっかけにインド人の男性、バンダリさんにインタビューしました。バンダリさんがまだ未成年の頃インドでどんな生活を送っていたのか聞いていました。

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◆トーク2
バンダリさんとの会話の中で、恋愛、結婚観についての話で共感して笑ってしまったインタビューです。このとき、バンダリさんとの距離が縮まったと感じました。そして、次のインタビューでは来日したばかりの、日本語がまだ喋れないときのことを話していただきました。
◆トーク3
日本で働き続ける事、自分のお店を出す事が夢のバンダリさん。そんなバンダリさんが日本で働く理由は子供をいい学校に通わせるためだといいます。バンダリさんの生き方、考え方、そして国の文化の違いを考える事ができました。また、バンダリさんは私をインドに連れて行ってくれるという約束もしてくださいました。その言葉を聴いたときに私の初めての国際交流が実を結んだような気がしてとてもうれしかったです
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2010年11月30日

関西学院大学総合政策学部山中研究室卒業制作第9回

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「障害と雇用の現実」
担当関西学院大学総合政策学部4年 藤末弘基
◆トーク1
障害者の雇用の現実をテーマに選んだ理由と、鈴木留美子さんの紹介。
NPO法人の副理事長として感じる障害者雇用に関して一番難しいところを伺った鈴木さんのインタビュー録音。
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◆トーク2
トーク1でのインタビュー録音のまとめ。共生とは何か、また自分の体験から感じる障害者の進学。障害者の雇用促進のための仕事をなぜしているのかという鈴木さんに対してのインタュー録音。
◆トーク3
鈴木さんの就労支援にいたるまでの経緯。私が思う障害者の就労の厳しさ。”何ができる”。
鈴木さんが思う共生。私が思う共生。
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2010年11月23日

関西学院大学総合政策学部山中研究室卒業制作第8回

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「テーラー業界の現状と展望」
担当関西学院大学総合政策学部4年 青山寛幸
◆トーク1
私は今回仕立て屋のお仕事について紹介します。仕立て屋は一般的にはテーラーと呼ばれています。私はテーラーの業界新聞である「ビスポークニュース」を発行する株式会社BS通信の代表取締役社長・武田啓治さんを取材させて頂いてきました。テーラーは安価な商品を大量に生産する時代になった現在ではかなり少なくなってしまっています。
私は、武田さんにテーラー業界が抱えている問題点についてを詳しく教えて頂きました。
◆トーク2
戦前までの洋服は、英国の正統な様式に忠実でしたが、戦後、アメリカの略式の既製服が主流になり、洋服が産業として発達する中で、正統な様式を理解している人が少なくなりました。テーラーという伝統文化を守るにはそれに対する正しい理解が必要です。そこで、伝統文化に対する正しい理解のための業界の取り組みを伺いました。
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◆トーク3
テーラーの魅力はやはり自分の体に合った服を作れること、好きな生地、ディテールを選択できることにあります。そして、自分のパートナーとして、人生を物語る服、個性を魅力を引き出せる服を作れることもテーラーの魅力です。私は武田さんにこのような魅力を持つテーラー業界の展望について伺いました。
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2010年11月16日

関西学院大学総合政策学部山中研究室卒業制作第7回

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「ロシアへバレエ留学した女性とその成長」
担当関西学院大学総合政策学部4年 四宮康仁
◆トーク1
今回の放送はロシアにバレエ留学をした女性についいてです。
インタビューを受けてくれた女性はプロのバレリーナを目指している
住友諒子さんという女性です。
一体、ロシアにバレエ留学に行きどう成長したのでしょうか?
彼女にはいつからバレエを始めたのか、留学先ロシアでの生活はどのようなものだったのか、留学に行ってから味わった挫折経験とは何かについてインタビューしてきました。
最後には、住友さんの恩師でもある清水先生に住友さんが留学から帰ってきての変化についてインタビューしてきました。
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◆トーク2
日本でバレエを始める子の年齢の平均は6歳。
そして、住友さんも6歳からバレエを始めたとのことでした。
住友さんは今までバレエを続けさせてくれたご両親に対してとても感謝していました。
親の存在って重要ですよね。

◆トーク3
私はロシアと日本とは何もかもが、まったく違うと思います。
言語、気候、食べ物、バレエのレッスン方法 全てが真新しいものだったに違いありません。
そんなロシアで住友さんは何を学んできたのでしょうか?

◆トーク4
ロシアでの挫折経験は、日本にいては絶対感じられないものでした。
周りの生徒は世界各国から集まってきた優秀な生徒ばかり。
そこで住友さんは何を感じ、何を糧に乗り越えてきたのでしょうか。

◆トーク5
住友さんの恩師である、清水先生が感じる住友さんの留学から帰ってきた後の変化とは何だったのでしょうか。
長年住友さんを見てきた先生だからこそ感じる、変化について聞いてきました。
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2010年11月09日

関西学院大学総合政策学部山中研究室卒業制作第6回

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「宮大工の技術と木造建築の魅力」
担当関西学院大総合政策学部4年 名本美保

◆トーク1
今回のテーマは宮大工の技術と木造建築の魅力についてです。
京都や奈良に行って、一度は日本の伝統的な木造建築の魅力に心を奪われたことがあるのではないでしょうか。
しかし今日、高齢化に伴い宮大工の数が減少し、日本の伝統的な建築物は危機にさらされています。
そんな現状の中で、どういうきっかけで宮大工を志したのかを有限会社匠弘堂(ショウコウドウ)の棟梁、有馬茂さんにお話をしていただきました。
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◆トーク2
厳しい職人の世界で認められるまでに一体どんな苦労があったのでしょう。
半端な気持ちでその世界に挑んでもきっとつぶされてしまうはずです。
有馬さんが副棟梁にまでのぼりつめれたのはきっと高い志をもっていたからです。
そして自分の成長に貪欲でありつづけたことなのでしょう。
そしてそんな厳しい世界を生き抜いて技術を身につけた宮大工が建てる木造建築、一体近代建築との大きな違いって何なのでしょう。

◆トーク3
周囲に宮大工としての技術を認められるようになり、初めて大きな仕事を任せられて、その仕事を完成させたときって一体どんな気持ちなんでしょう。
きっと晴れ晴れとした気持ちと充実感でいっぱいなんだろうな、って私は思っていたのですがまったく予想外の答えがかえってきました。
宮大工に課せられる責任の重さって想像を絶するものです。
厳しい世界ではあるけれど日本の伝統を守るすばらしい職業です。

◆トーク4
やっと放送が終わったということで肩の力がぬけました。
私が宮大工をテーマにしようと思ったきっかけが先輩の去年の放送を聞いたことに関係がありました。
私の放送を聞いて、後輩が次の番組のテーマの参考にしてくれればいいとおもいます。
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2010年11月02日

関西学院大学総合政策学部山中研究室卒業制作第5回

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老後を田舎で暮らしたいと考える人々へ」
担当関西学院大学総合政策学部4年 本田央子

1.今回のテーマは、「老後を田舎で暮らしたいと考える人々へ」です。
最近、老後に都会から田舎に移り住む人々が増えており、テレビや雑誌でもよく田舎暮らしのよさを取り上げられていますよね。田舎暮らしの魅力って何?や、田舎暮らしの大変さを生まれも育ちも田舎の私の祖母にお話を伺いました。
みなさんが思っている以上の大変さがありました。
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2.次に私は、実際に、老後に都会から田舎へ移り住んだ佐藤さんにお話を伺いました。
ここでは、田舎暮らしを経験したからこそ聞ける内面的な部分を  聞くことができました。
「田舎に来て、いいことより反省する点の方が多い」という佐藤さんの発言がとても印象的でした。  

3.今回、お話を伺い、私が今まで田舎のいい面しか見ておらず、その向こう側を
知ろうともしていなかったことに気づきました。
このラジオを通して、田舎の向こう側を少しでも知って、改めて考えるきっかけとなれば嬉しいです。
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2010年10月26日

関西学院大学総合政策学部山中研究室卒業制作第4回

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更生保護ボランティア団体『BBS会』を通じて
担当 関西学院大学総合政策学部4年 澤田大明
<BBSって何?>
今回のテーマは、非行少年の更生保護ボランティア団体「BBS会」です。
私がこのテーマを選んだのは、私自身がBBS会に所属しているということが最大の理由です。今回の放送で少しでもBBS運動を知っていただき、非行少年について考えるきっかけになればと思います。
今回のインタビューは京都府BBS連盟会長の山本君にお話を伺いしました。
補足説明
※保護司会…保護観察処分中、毎月対象者と面会をするなど、実際に少年の保護観察を見守っていく国家資格のボランティア。
※保護観察所…犯罪をした人や非行のある少年を実社会の中で適切に処遇する事により、その再犯を防ぎ、非行をなくし、それらの人たちが自立し、改善更正することを助ける事で社会を保護し、個人と公共の福祉を増進する仕事を担っている機関。
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<インタビュー前半>
山本君は元々BBSの更正保護活動に興味があって入会したわけではないとのことでした。
しかし、活動をしていくうちに、更正保護活動にも興味を持ち、今では積極的に活動を展開されています。
また、印象に残った活動はともだち活動と話してくれました。
私も今でも担当したともだち活動の事は覚えていますし、この活動は対象者に与えるだけでなく、自分に対しても受ける影響が大きい活動なのだと改めて実感しました。
<インタビュー後半>
最初は対象の少年にヤンキーみたいなイメージを持っていたが、その考えが実際に接してみたら間違っていたという話は、私も同じ経験をしているのですごく共感できました。
また、非行防止活動に対象の少年にも参加してもらうという話は私の中にはなかった考えで、今回の取材を通してとても参考になった事です。
非行少年が近くにいると知ったとき、怖いと思って避けるのではなく、温かく迎えてあげること。
それが私がBBS活動を通してもっとも大切な事だと思いました。
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2010年10月17日

関西学院大学総合政策学部山中研究室卒業制作第3回

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◆MtF(Male to Female)と語る女性の理想像
担当 関西学院大学総合政策学部4年 伊藤暁香
<1>本日の番組のテーマは“強い女性”です。
MtF(Male to Female)の方であるゆっちさんにお話をいただきました。
今回このテーマにした理由は、私が6年間女子高に通い女性学を学び、自分の女性としての理想像を考えてきたこと、そして、これから社会人になるにあたって、社会人としての強い女性についても考えたかったからです。
それゆえに、私は常に女性としても人間としても強くあるゆっちさんにお話を伺いました。

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<2>インタビュー前半
ゆっちさんが強い女性として私の目にうつるのは、女性であることが幸せだからという強い想いと覚悟があるからだとわかりました。
覚悟がある、芯のある女性は素敵です。
また、最近、メディアでは、性同一性障害とニューハーフが混同され、誤解が強く生じています。
先入観で判断するのではなく、その人自身を見るよう努めるべきです。
<3>インタビュー後半
強い女性の三つの条件をゆっちさんに教えていただきました。
1、自分が正しいと思った事を貫き通せる人
2、人の話を聞く
3、笑顔を絶やさない
この三つの条件を常に意識されてるからこそ、ゆっちさんは魅力的な女性に見えるのだとわかりました。
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2010年10月13日

関西学院大学総合政策学部山中研究室卒業制作第2回

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◆路上ライブの街への役割(僕からの視点)関西学院大学総合政策学部4年 中谷崇志
@大阪で活動中のロックバンド「LOCO」にインタビューしました。彼らは尼崎出身のバンドで僕とは大阪の歩道橋で出会いました。彼らの音楽には激しさやせつなさがつまっています。なので、彼らの曲調と路上ライブでの姿勢に惹かれて取材しました。まず、LOCOの一曲「will」とLOCOの自己紹介とLOCOが結成したきっかけについてをお聴きください。
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Aつづいて、路上でライブをすることとライブハウスでライブをすることの違いについてお聞きしました。このインタビューからLOCOの路上ライブに対する意気込みが感じられます。また、後半にパフォーマーライセンスという言葉が出てきます。パフォーマーライセンスは大阪市、大阪観光コンベンション協会、大阪商工会議所で組織する「大阪パフォーマーライセンス推進実行委員会」によって発行され、ライセンスを所持している人は大阪の観光スポットや集客イベントなどで実演することができます。東京都では同じようなヘブンアーティスト事業が行われています。しかし、この所持している人たちに対して実演許可が出ている場所が少ない点が問題と彼らは言っていました。だからといって、警察署に無断で路上ライブをしてしまうと道路交通法を違反したことになり、3ヶ月以下の懲役または5万円以下の罰金が科せられる可能性があります。
B 最後のインタビューでLOCOには有名になりたいという気持ちと地域を盛り上げていきたいという気持ちがあるように思います。それはLOCO以外の路上ライブをしている人たちも同じようなことを思っているかもしれません。また、音楽を聞く地域住民からも地域を活性化したいという想いがあると思います。その2つが上手く重なり合えば、路上ライブが街に果たす役割というのは今とは正反対になってくるのではないでしょうか。

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2010年10月05日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室卒業制作第1回

101005_tukisima2.jpg◆山中速人研究室卒業制作第一回 担当築島裕貴

◆イントロダクションから質問@
今回のテーマは「地方出身者から見る関西文化とその違いです」私自身が関東の神奈川出身ということで珍しいという事もありこのテーマにしました。
インタビュー相手は同じく関西学院大学2回生田中秀治君と同じく関西学院大学4回生内田元信君です。
まずは「入学前に抱いていた関西文化について」です。

◆質問A〜質問C
入学してどのように変わったかや地元と関西の違い、一番の違いといってもいい関西弁について引き続き田中君と内田君にインタビューしています。

◆質問D〜まとめ
ここからは新たに関西学院大学4回生の小林君に関西人から見る地方出身者の言葉や関東との違いについてインタビューしました。
テレビやマスコミの流す関西文化の代表的なイメージではなく実際に住んでいる人たちの生の意見を聞いてそこにある違いに気づく事が出来ました。
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2010年09月29日

夏休み特別企画*ラジオドラマによる連続大学講座「メディアってなに?」の著者山中先生

先週までは、「メディアってなに?」というラジオドラマをお送りしました。
全10回が終了しましたので、今回は、その著者である山中先生においでいただきました。



◆「メディアリテラシー」とは?

昨年に『娘と話すメディアってなに?』という本を出版しました。大学の「メディアリテラシー」の講義のテキストになっています。
「リテラシー」は識字という意味です。近代のはじめに国民の識字能力を高めようということで、読み書き率をはかるために、「リテラシー」という言葉を作りました。日本も欧米も近代社会が完成したときに、国民の8割以上が字を読み書きできるようになりました。しかし、識字能力だけでは、コミュニケーションに十分ではなくなってきました。
メディアが出てきたためです。メディアを自由に使って、メディアから発信されてくる情報を、きちんと読み取る能力が必要なのではないかということで、近年デジタルネットワークが普及していくなかで、注目されるようになった概念です。それが「メディアリテラシー」です。


◆“識字”ということに関して、聴覚障害者の方が以前、「文字は記号にすぎない」とおっしゃられていましたが・・・

メディアリテラシーの考え方も同じです。私たちは、文字に頼らないで、映像や音声、いろいろな情報とメディアを使って接することができますね。「文字はもういらなくなった」という考えも一部にありますが、映像も音声も実は記号です。私たちは、文字という記号からは自由になったかもしれませんが、映像や音声という新しい記号に包まれて生活するようになりました。記号が私たちのまわりを取り囲んでいるという状況は変わらない。記号を運んでくるメディアを読み解こうという能力ですね。


◆なぜ「メディアリテラシー」が言われるようなったの?

1990年代、ひとつの傾向として、北米のメディアが挙げられます。当時、北米では、公平原則というのがあって、社会的に公平なメディアであるべきだ、という(日本の放送法などにはまだ残っている考え方ですけれど、)中立的に放送しないといけないという原則がありました。電波は公共のものだったからです。
ところが、インターネットやケーブルテレビが普及して、チャンネルが無限大に広がる可能性が出てきました。1990年代のアメリカのレーガン政権以降の規制緩和の流れが、放送の世界にも入ってきました。そして、放送の公平原則を撤廃してしまいました。
それまで、新聞社やテレビ局は共通の資本を持ってはいけないという規制がありましたが、巨大な資本が放送局や新聞局をすべて持つという傾向になりました。
日本も10年ほど前にそのような傾向になろうとしました。新聞社と放送局が同じ系列を持っているというメディアコングロマリットという巨大なメディア資本が登場してきたのです。
日本の放送法は、戦後アメリカが作ったものです。なので、国営放送は禁止されています。NHKは、法律で規定されていますが、国家のものではありません。協会ですから、民間放送だという位置づけです。予算を国会で審議して、通すという形です。国のかかわりはそこでしかありません。
放送法がある以上、総務省は、放送が中立的に行われているかいつもチェックしています。政府機関の放送に対する圧力だという批判がされてきました。
アメリカは、公平原則を取っ払ってしまったので、自由に放送してもよいということになりました。どんな偏った放送をしてもいいということになったのです。




◆メディアコングロマリット

メディアコングロマリットでは、映像も、文字も、週刊誌も、テレビ局も、ケーブルテレビも、ゲームメーカーも、映画も、みんな1つの資本傘下にあるということです。資本傘下にあるということは、売るということも入りますし、売るためのコマーシャルも入ります。消費の世界ですから、誘導されてしまうということになります。
テレビ局は、報道の機能を失ってしまい、視聴率のためにニュース番組よりエンターテイメントばかりになってしまったりしています。イラク戦争の例は顕著です。
その大きな規制緩和の流れに対抗して、90年代に出てきたのが、メディアリテラシーの考え方です。規制が撤廃されたということは、法律が公平な情報かということは判断してくれないのです。市民1人1人がやりなさい、「かしこい消費者」になりなさい、ということなのです。
北米では、ヒトラーのナチス政権の時代に逆戻りしてしまいそうな勢いさえあります。新しい放送法を作ったように見えますが、昔の放送のようになってしまったということですね。国営放送ではありませんが、全部がお金儲けのために走ってしまうという傾向を持ってしまったために、報道の偏りが起こりました。
インターネットなどでは、ヘイトサイト(憎しみの塊)というものが出てきました。たとえば、「ユダヤ人のホロコーストはなかった」というものや「黒人のアフリカ系アメリカ人の人種差別を繰り返すようなサイト」などです。日本でもありますよね、「中国をものすごい批判する」とか。


◆「新しいメディアを使えるようになる力」と「読み解く力」

知らない間に子どもたちがアクセスして、その情報を信じてしまうということが起こっています。情報を自由化する、だけど、そういう情報に惑わされない市民を育てないとならないということが大切です。教育の世界でメディアリテラシーの考え方が出てきたわけです。
一方、国策として、インターネットの普及を図りたいと思っている文科省やメディア系の産業もあって、新しいメディアをどんどん買って、メディアをどんどん使いこなしてほしいと思っています。
「新しいメディアを使えるようになる能力」と「読み解く能力(批判的な能力)」。両刃の剣のようですが、この2つが一体になってメディアリテラシーという概念が出てきたわけです。


◆最近のメディア

ひとつのことを報道すると、一般の人たちは、そのまま受け取ってしまって、影響を受けてしまう。だから、メディアって強くて怖いものだという意識がありました。しかし、最近、少し取り上げ方が変わってきて、実際にメディアが流した情報をそのまま受け止めているかというと、決してそうではなくなってきました。
社会の大勢に順応に受け止めている人もいれば、反対に受け取る人もいます。例えば、学生のデモ隊で、学生と警官がぶつかっている。大勢に順応している人たちは、「学生はけしからん!秩序を守れ!」という意見になりますし、いつも国家の動きに疑問を持っている人たちは「表現の自由があるから、学生がんばれ!」「弾圧する警察はけしからん!」という意見になります。この2つは大体きっちり分かれていて、保守的な人たちと、リベラルな人たちの間で意見の対立があります。いくら報道機関が情報を流しても受け取る側は、2つの見方をしているのです。メディアの言うとおりになるわけではないということです。


◆スチュアート・ホールの考え方

スチュアート・ホールはイギリスのジャマイカ出身の移民の子孫のイギリス人の学者です。メディアの流す情報の読み取り方には3つあると言っています。
1.支配的読み・・・それをそのまま受け取るという大勢側にひきつけられる人です。
2.対抗的読み・・・大勢に反対する側にひきつけられる人です。
3.交渉的読み・・・ネゴシエーション。1と2の中間にあります。
一般の人たちはどちらにも属さない、いわゆる無党派です。その時々に自分の感性などを使いながら、第3の読み方をするわけです。


◆1980年代「中学生日記」の例

沖縄県宮古島にはじめて本土のテレビ放送(NHKだけ)が受信できるようになりました。島の中学生たちが、NHK名古屋制作の「中学生日記」を見ていました。中学生にモラルとか友情とか、文科省が推薦するようなフレーズを考えさせるために、作った教育番組ですよね。実際にどういう風に見ていたかという風に調査すると、よく先生にしかられたりしていた、ちょっと不良っぽい子のほうがよく見ていることが分かりました。彼らは、「中学生日記」に出てくる不良っぽい子どもたちのファッションを見ていたのです。ファッション雑誌もなければ、民放も放映されていないので、悪ガキのファッションを見て、チェックをして、着るということだったのです。
送り手側が考えていて意図したものと、受け手側のそこからくみ出そうとしたものはまったく違うということの一つの事例ですね。同じように私たちも、メディアが送り出すとおりに受け取るというのではなくて、自由に受け取ることができる。読み解く力さえつければ、どんな情報であっても、そこから真実をくみ出すことができるのではないかとおもいます。メディアリテラシーを普及させていく、身に付けていくべきだ、という大事な根拠になっています。


◆これからの社会において必要な力は?

今は本当にグローバルな世界になって、居ながらにして、いろんな情報を手にすることが可能になってきましたよね。単純に受け取るだけではなくて、それぞれがいろんな経験値の中で、読み解くことが大切であるということですね。
ねじ曲げられているものをもう一度元に戻して理解したりする能力が必要になってくると思います。ただ単に情報を発信するだけではなく、私たちのまわりを取り囲んでいる情報を、積極的に批判的に読み解いていく力を持たないと情報に引きずられてしまうと思います。
1人1人がメディアを使って、自分の意見を発信する。そのためには、伝統的な方法だけではなくて、今、様々な新しい方法が出てきているので、それを身につけて、発信する力を大きくしていく。市民が自分たちの意見や考え方を発信していく力になっていくと思います。そのようなことが組み合わさって、メディアリテラシーが次のステージに向かって開かれていくと思いますね。


◆そして、来週からは・・・

私のゼミの4回生の学生たちがこのスタジオから発信していきます。
ミキサー席に座り、マイクや音源を操作しながら、生放送で自分の意見や情報を発信します。みなさま、どうぞお付き合いください。


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2010年09月24日

夏休み特別企画*ラジオドラマによる連続大学講座「メディアってなに?」第10回

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第10話
市民メディアはとまらない〜パブリック・アクセスとメディア・リテラシー〜




ヤン マイク入ります。マイク・オン

ナニ はーい! 「ナニのラジオ講座・メディアってなに?」の時間がやって参りました。早いもので、今回は最終回です。テーマは、「市民メディアはとまらない〜パブリック・アクセスとメディア・リテラシー」です。今回のゲストは、なんとこのカモメFMの局長、紺田さんです。それに番組のプロデューサのヤンさんも加わって、メディアと市民の関係について考えていきます。どうぞよろしくね。
 さて、紺田さん、パブリック・アクセスというのは、市民がメディアの送り手として参加することを意味するって聞いたんですが、それってどういうことなんですか?

紺田 パブリック・アクセスということばは、もともとメディアの世界だけじゃなくて、一般の人びとがアクセスできる権利という意味があったんです。たとえば、入り浜権*1、つまり、市民が海岸で海藻をとったり、泳いだりすることができる権利があるなんて言い方をするときに、使われていました。

ナニ 入り浜権? あ、それってハワイがそうだよ。ハワイじゃね。ホテルの前のプライベートビーチだって、満潮時の海岸線より海側のビーチは、一般市民がはいって泳いだり、日光浴したりできる権利があるんだよ。その権利を保障するために、ホテルは、市民がビーチに入れるように、道をつけたりしなくちゃならないの。これってパブリック・アクセスなんだよね。

紺田 へえ、ハワイには素敵な法律があるんだね。知りませんでした。日本でもそれを見習えばいいのにね。そうすれば、人工の海岸線ばっかりにならないよう、市民が監視できるからね。
 さて、メディアの世界では、パブリック・アクセスというのは、一般市民が自分たちの作った番組を放送できる権利や制度のことをいいます。このパブリック・アクセスということばが注目を集めるようになったのは、一九六〇年代のアメリカでした。
 当時、アメリカではアフリカ系アメリカ人の人権を擁護しようとする公民権運動*2が盛んでした。でも、南部の放送局の中には、アフリカ系アメリカ人に対する差別的な放送番組*3を流す局もすくなくなかった。人権派はそんな番組を批判したんだけれど、放送局は、言論の自由を盾に放送を止めなかったんです。これに対して、人権派の市民たちは、人権という公共の正義に反する番組を放送する局の放送免許の取り消しもとめる訴訟を起こして闘った。

ナニ 公民権運動については、アメリカでは学校でも勉強するよ。リーダーのひとりだったキング牧師*5の誕生日が祝日になってるくらいだもん。

紺田 民主主義社会では、もちろん言論の自由がある。だからだれでも自由に自分の意見や情報を流す自由がある。しかし、同時に、自由主義経済の社会では、メディアは、それ自体、営利事業だから、お金をもっている大企業や政府は、一般市民に比べて、メディアに自分たちの意見や情報をながすチャンスをたくさんもっている。そうすると、市民は、大企業や政府の都合のいい情報ばかりを聞かされることになってしまう。言論の自由は、国民の知る権利とセットであるべきものだから、それを守るためには、お金のある人だけが放送できるという現状では不十分。一般市民からの反論や違った意見が放送されないとフェアじゃない。そういう理念が裁判などをとおして、広く支持を集めるようになっていったんです。こうして、メディアにおけるパブリック・アクセスの考え方は定着していきました。
 では、具体的に、どうすれば一般市民の意見や反論をメディアに載せることができるのか? その具体的な挑戦が最初に始まったのは、ボストンのWGBH*6という公共放送局のキャッチ44という番組でした。この番組は、プロのテレビ制作者ではなく、一般市民が企画制作した番組をそのまま放送する画期的な番組でした。これがきっかけになって、市民が放送番組を企画制作する試みがアメリカの各地で始まるようになり、世界中に広がっていったんです。




ヤン マスメディアで働いているプロのブロードキャスターたちは、現代では特権的な地位を持っていると思うの。日本では放送法にもとづいて免許制度に守られているから、経営的にも安定しているし、給料もとっても高い。これじゃ、マスメディアはどんどん一般市民から浮き上がった存在になってしまうと思うの。
 一方、警察や役所などの行政機関の中には、記者クラブ*7といって一部のマスメディアしか実質的に参加できない閉鎖的な組織ができている。一応、建前としては行政から独立した自主的組織になっているけれど、お役所と馴れ合ってる部分もある。
 マスメディアが市民の声を代弁してくれない以上、市民自身が自分たちの声を直接発信できるメディアが必要なのね。

紺田 その通りだと思います。
 アメリカでは、八〇年代の規制緩和と自由化の流れの中で、たくさんのケーブルテレビ局ができて、市民が比較的自由に放送番組を作ったりできるようになりました。
 しかし、もう一方で、巨大資本によるマスメディアの独占化も進みました。マスメディアが権力のチェックをして、世論に高めていくのではなく、逆に、お金をもった特権階級*8の利益に奉仕するようになっているんじゃないか。
 規制緩和は両刃の剣だと思うのです。市民がメディアに参加する自由をもたらすかにみえて、他方で、大資本によるメディアの独占が進んだからです。

紺田 ところで、ナニさんは、メディア・リテラシー*18ということばを知ってる?

ナニ メディア・リテラシー? 聞いたことあるよ。リテラシーって、日本語じゃ識字力のことでしょ。字を書いたり読んだりできる能力のこと。だから、メディア・リテラシーというなら、それはメディアを使ったり、メディアから情報を読み取ったりする能力のことじゃないかしら。違うの?

紺田 いや、その通り。ただ、このメディア・リテラシーには、二通りの意味が込められているんです。一つは、メディアを使う能力。たとえば、インターネットでブログやホームページを立ち上げたり、ビデオカメラで撮影した映像を編集して作品を作ったり、メディアの使い方を身に付けること。
 でも、メディア・リテラシーには、もう一つの意味があります。それは、メディアを読み解く能力。つまり、メディアの情報を鵜呑みにしないで、批判的に、何が真実かを意識しながら読み解いていく能力のこと。
 たとえば、政府の広報番組を「本当かな」と疑ってみてみるとか、アメリカのイラク戦争のテレビニュースの裏に、どんな事実が隠されているかを想像したりする。そんな能力も、メディア・リテラシーと言うんです。

ナニ メディアといえばマスメディアのことだと思いこんで、自分たちは、番組をみて笑ったり、怒ったりするだけで十分だと考えてしまうのは、ようするに、女は家にいて家事と子育てだけしていればいいというのと同じなんだと思うよ。メディアとの付き合い方も、一方的に受け身になっているだけじゃなくて、積極的に自分の意見や主張をメディアで発信することも普通の生活の一部なんだと思うよ。そのためには、マスメディアが送り出してくる情報をただ受け取るのではなくて、批判的な目を向けることが大切だし、また、自分が発信できるためには、メディアの上手な使い方や発信の手段も手にしなければならないってわけね。つまり、メディア・リテラシーとパブリック・アクセスとは、市民とメディアの関係をよりよい関係にするための車の両輪なんだね。

紺田 そう、そのとおり。

ナニ この連続ラジオ講座は、メディアとは何かという問題を、マスメディアが急速に発達した一九三〇年代を出発点にして、メディアと社会の関係のあり方に焦点をあてながら考えてきました。みなさん、いかがでしたか。取り上げなかったテーマもたくさんあったけれど、みなさんがメディアについて考えるとき、役に立つヒントがきっとたくさんあったと思います。
 番組はこれでおしまいですが、最後にナニの感想をひとつ付け加えたいと思います。メディアというのは、文化や意見の違う人間と人間の間にたって、両方に架け橋する役割ももっていると思います。国境を超えて、人びとが世界をどんどん移動する時代は、一方で、文化や意見の違う人びとがぶつかり合うこともどんどん増える時代でもあると思います。メディアが、人びとの対立をあおるのではなくて、共存と理解を進めることができれば本当にいいのになと思います。
 これが、ナニが最後に言いたかったことかな。長い間、熱心に聴いてくださってありがとう。これで、番組を終わります。

○モノローグ
 最終回の収録が終わった後、局のスタッフたちが小さな打ち上げパーティを開いてくれた。
 番組づくりをとおして知り合ったいろいろな人たちが、代わる代わるやってきてナニの労をねぎらってくれた。ナニは、応援してくれたみんなの優しさが嬉しくて、ウルウルしていた。そんなナニの後ろから、局長の紺田さんが、そっと近づいてきて、ナニが首に掛けていたタオルを引っ張ってこう言った。
「へえ、ずいぶんいい色になってきたね」
 そうなんだ。気づかない間に、真っ白だったタオルは、汗で汚れてよれよれになっていた。そのタオルをみながらナニは思った。これからもメディアに関わり続けよう。一人の市民として、メディアにかかわり続けよう。そして、番組作りの中で知った、手作り精神、そう白タオルスピリットを忘れないようにしよう。
 そんなナニの思いを知ってか知らずか、窓の外には、港からやってきたカモメたちが気持ちよさそうに飛び交っていた。


◆語句解説◆
入り浜権*1 『入り浜権宣言』(起案・高崎裕士、一九七五年)によれば、入り浜権とは「古来、海は万民のものであり、海浜に出て散策し、景観を楽しみ、魚を釣り、泳ぎ、あるいは汐を汲み、流木を集め、貝を掘り、のりを摘むなど生活の糧を得ることは、地域住民の保有する法以前の権利であった。」
公民権運動*2  (Civil Rights Movement)一九六〇年代、アフリカ系アメリカ人が合衆国国民として同等の公民権の適用を求めて立ち上がった大衆的な人権獲得運動。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師はその有力な指導者。
アフリカ系アメリカ人に対する差別的な放送番組*3 たとえば、一九六四年のミシシッピー州WLBT局が放送していた「ヘイトショー(Hate Show)」などの番組。
反論の番組を放送する権利を求めて裁判を起こしたりした。*4 たとえば、共産主義者と決めつける放送を行ったレッドライオン放送会社に対して、当事者からの訴えを入れて連邦通信委員会(Federal Communications Commission)が反論放送を行うよう裁定を下した。これに同社が不服を申し立てて最高裁で争ったが一九六九年に敗訴したレッドライオン事件(Red Lion Case)など。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア*5 (Martin Luther King, Jr)一九二九〜一九六八年。公民権運動の指導者でバプティスト派キリスト教会の牧師。祝日は誕生日の一月十五日に近い一月第三月曜日。
ボストンのWGBH*6 一九五一年に開局した、米国マサチューセッツ州ボストンを本拠とする公共放送局。
記者クラブ*7 政府機関、地方自治体、警察などに設置された、特定の報道機関に属する記者で組織された任意団体。団結して行政に情報提供を促す力にもなるが、権強い横並び意識と閉鎖性をもつ日本のジャーナリズムの象徴として批判を受けている。
政府がメディアに介入*7-2 たとえば、東京高等裁判所は、二〇〇七年、NHKが政治家の圧力による番組改変を行ったことを認めた。判決によれば、第二次世界大戦で日本軍が行った性暴力を取り上げた民衆法廷を取材した番組について、NHK幹部は、放送日の数日前に官房副長官に面談を受けた後、番組の一部を削除するよう番組制作担当者に指示したといわれる。
エスタブリッシュメント*8 (establishment)社会的特権階層のこと。
メディア・リテラシー*18
情報教育*19 文部科学省『情報教育の実践と学校の情報化〜新「情報教育に関する手引」〜』によれば、「情報活用の実践力」「情報の科学的な理解」「情報社会に参画する態度」の習得をめざす教育。
トランスジェンダー*20 (transgender)性差の境界を越えて生きようとする人のこと。訳語として「性別越境者」「性別移行者」など。


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夏休み特別企画*ラジオドラマによる連続大学講座「メディアってなに?」第9回

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第9話
マイノリティは発言する〜ジェンダーとメディア〜




○モノローグ
 番組は順調に回を重ねてる。リスナーからの反応は、予想していたよりイマイチな感じだけれど、ヤンさんの話では、「そんなもんだ」そうなの。
 番組ではずっと教授にゲスト出演をお願いしてきたけれど、そろそろ他の人も呼ぼうということになった。ヤンさんとそんな相談をしていたとき、携帯にうれしいメールが飛び込んできた。
 金さんからのメール。金さん、アメリカ留学から帰ってきたんだ!
 そうか、金さんのこと、まだ話してなかったよね。金さんは、在日コリアンの三世で、アメリカのカリフォルニア大学に留学して、マイノリティ・スタディーズ*2といって、世の中で少数派っていわれて差別されたりしてる人たちのことを勉強してきたジャーナリスト。金さんなら、マイノリティとメディアについていろいろとお話してもらえそう。
 今回のテーマにはぴったりのゲストだと思う。今回は、ヤンさんにも番組に加わってもらって、三人で番組を進行しようっと。

ヤン マイクはいります。マイク・オン!

ナニ 今週も「ナニのラジオ講座・メディアってなに?」の時間がやってまいりました。みんな元気にしてる? だんだん蒸し暑くなってきたけれど、暑さに負けないで、番組聴いてね。さて、今週は、「マイノリティは発言する〜ジェンダーとメディア〜」というテーマで番組を進めていきます。
 今日のゲストは、マイノリティとメディアについて詳しいジャーナリストの金さんです。金さんは、アメリカでマイノリティ・スタディーズの研究をして、日本に戻ったばかり。マイノリティにとってメディアとは何なのか、どんな問題があるのか、たくさんお話ししてもらおうと思います。そして、番組のプロデューサのヤンさんにも加わってもらいます。みんな聴いてね。
 さて、金さん、最初に、マイノリティの側からメディアをみたとき、どんな問題があるのか、その辺りからお話を始めていただけませんか?

金 初めまして、金です。わたしは、エスニック*8的には在日コリアンで、さらに、ジェンダー*9としては女性という立場にいるでしょ。いわゆるダブル・マイノリティなわけね。今日は、ジェンダー・マイノリティとしての立場からお話するわね。
 女性たちが、ジェンダーの視点からメディアの問題を考えるようになったのは、日本では一九七〇年代頃からだった。アメリカではそれ以前から、フェミニストの研究者たちが、マスメディアが描く女性のイメージに偏りがあると指摘していた。日本でも、マスメディアの中の女性イメージについての研究が活発に行われるようになったの。メディアが女性を描くとき、男性中心主義的な視点で、女性をひとつのパターンに押し込めるような描き方がされていた。たとえばね、テレビドラマでは、女性はいつも受け身的で、感情的にしか振る舞うことができないとか、男性の補佐役的な立場でしか描かれないとか。ニュースや報道番組でも、幼い子どもが事故にあったりすると、きまって母親の責任だけが問われたりする。父親は仕事、母親は家事育児といったワンパターンの見方ばかりだった。現実には、男女の関係のあり方は多様なはずなのに、あたかもそれ以外のあり方は存在しないようなステレオタイプ*10な描き方がはびこっていた。こういうのをジェンダー・バイアスというの。

ナニ バイアス、つまり日本語では偏見だよね。

金 メディアの中のジェンダー・バイアスは、それ自体が女性差別なんだけれど、それだけじゃなくて、そのバイアスがメディアをとおして広く差別を再生産してしまう。だから、より深刻な問題なのよ。そして、それを直していこうと声があがるようになっていった。

ナニ 実際にはどんなジェンダーバイアスがあったの?

金 そうね。まず、性別分業のバイアス。
 たとえば、あるインスタントラーメンのテレビCMでは、「わたし作る人、ぼく食べる人」*11といって、女性が作ったインスタントラーメンを男性が食べるというCMがあった。こういうCMは、無意識的に男女の役割を固定化してしまうでしょう? これが性別分業バイアスなの。
 つぎに、らしさ固定バイアス。勇ましくてたくましいのが男らしいとか、おしとやかで控えめなのが女らしいとかいうあれね。今では、その逆になっているなんていう人もいるけれど、どんな形にしろ、特定の性格や振る舞いのタイプを「らしさ」として固定してしまうバイアスがあるわけ。このバイアスには、メディアの中で「らしさ」を強調するだけじゃなくて、「らしくない」人を非難したりすることも含まれるのよ。たとえば有名な男性タレントが新人女性タレントに「おまえ女らしくないぞ」なんていうようなこと、よくあるでしょ。
 三つ目のバイアスは、女性をただのセックスの対象としかみない、性的対象物バイアス。ポルノグラフィーはその典型だけれど、たとえば新人アイドルのテレビ・デビューには、きまって水着を着せたり、胸の谷間が見えたミニスカのドレスを着せたりするでしょ。ああいうのを性的対象バイアスというのね。
 視聴者がこんなCMや番組を見せられ続けていると「ああそうか、女の子はご飯を作るのが自然で、男の子はそれを食べるのが自然なんだ」とか「アイドルタレントはエッチなことが大好きなんだ」と思いこんじゃったら大変でしょ。だからこのようなCMを放送している代理店や放送局に対して、それはおかしいと批判したり、抗議したりしたの。
 とくにメディアを研究する女性の学者やフェミニスト運動の活動家たち*12が、声をあげていったのね。

ナニ そんなCMや番組を作るのは、やっぱり男の人たちなんでしょ?

金 そうね。放送局や広告代理店が男社会であることが、バイアスの原因になっているわけ。それで、まず、最初に、メディアで働く女性の数を男性と同じくらいに増やそうという意見が強くなっていったの。この考え方をアファーマティブ・アクション*13、日本語では、積極的差別是正措置というのよ。




ヤン メディアで働く女性の数が増えることはもちろん大切だけれど、でも、さっき金さんがおっしゃったように、せっかく女性がメディアの現場で働くようになっても、その女性たちが、男性の願望に応えて、せっせと性差別的な番組を作っていたらバイアスはなくならないんじゃないかしら。マスメディアへの女性の進出は、ジェンダー・バイアスをなくす必要条件だけれど、十分条件じゃないと思う。
 それに、たとえば、テレビドラマのヒロインが、性差別撤廃の立場からみた理想的な女性に描かれていても、現実の女性たちの生活は、けっして理想通りじゃないから、ありのままに描こうとすれば逆に理想からどんどん離れていってしまう。

金 確かに、ある番組が性差別の疑いがあるという場合、それをいったい誰が決めるのか、という問題があるの。現実的には、先進的な女性グループやフェミニズムの研究者たちが差別を指摘することが多いわけだけれど、マスメディアは一応「承っておきます」という態度をとる。でも、実際、放送は改善されない。
 また、最近はバックラッシュ*15といって、フェミニズムに反感をもつ保守的なグループ*16が、逆の立場からメディアに圧力を掛けることも多い。そんなとき、いつも問題になるのは、その表現が性差別になるかどうかを誰が決めるのかということなの。

ヤン 最近、いくつかの新聞社や通信社は、性差別表現をしないようにガイドラインを設けるようになったってきいたわ。たとえば、ある通信社の記者ハンドブック*17では、「女流」とか「女史」とかいう表現も使わない。さらに、「女傑」「女丈夫」「女だてらに」「女の戦い」など女性を強調する表現はなるべく使わないんだって。
 また、欧米のメディアでは、すでに以前からジェンダー・ニュートラル*17.1な表現を使うようガイドラインを設けているところが多いのよ。たとえば、議長のことをチェアマンではなく、チェアパーソンというようにね。

金 わたしの考えでは、メディアの表現がジェンダー・バイアスかどうかは、絶対的な基準はないと思うの。どんな表現が差別になるかどうかは、結局、進歩派も保守派も参加した社会的な議論をとおして明らかにしていく以外にないんじゃないかな。だから議論を棚上げして、特定の表現を差別だと決めつけると、その表現だけを避ければいいという誤った認識につながるように思うわ。
 でも、もうひとつ大切なことがあると思うの。たしかにメディアの影響力は、大きいけれど、メディアは一方的に影響力を行使するわけではないということ。むしろ、受け取る人びとの側にこそ解釈の主導権がある。人びとがどうメディアを読みとっているかに注目する方が、メディアの問題を考える上で重要だと思うの。

ヤン そうそう、そうなのよ。これまでメディアのジェンダー・バイアスを考えるとき、女性はいつもメディアによって振り回される犠牲者だというスタンスだったと思う。でもね、差別表現は問題だけれど、視聴者を判断力のない無力な存在だと考えることに、すこし違和感を感じていたのよ。視聴者は、メディアに対する批判的な鑑識眼を身に付けることで、単純に騙されないように賢くなることができるでしょ。インチキ商品に騙されない賢い消費者になるのと同じことよ。そのメディアに対する鑑識眼をメディア・リテラシー*23と言い換えてもいいわ。女性は弱いから政府や強い組織に守ってもらうというスタンスではなくて、女性自身が判断し自己決定できる力を獲得していくというスタンスが大切だと思うの。

金 わたしもそう思うわ。エンパワーメント*24という考え方よね。そして、そのためには、普通の市民やマイノリティが平等に発信できるメディアが必要で、これをパブリックアクセスと呼んでいるのよ。

ナニ 今週は、女三人で、とっても話が弾んじゃった。いかがでしたか。来週は、そんなわけで、今も話題にでたパブリック・アクセスについて考えます。また来週、聴いてね。



◆語句解説◆
男女共同参画社会*7 男女共同参画社会基本法(一九九九年施行)によれば「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」
エスニック*8 (ethnic)エスニシティ(ethnicity)とは、「民族性」の類似概念として使用される場合が多いが、正確には、共通の出自、慣習、言語、地域、宗教、身体特徴などによってひとつのまとまりを保持するような集団の特性のことを指す。
ジェンダー*9 (gender)生物学的な性(sex)に対して、社会的、文化的な性を意味する概念。
ステレオタイプ*10 (stereotype)職業や民族、性別など、ある特定のカテゴリーに属する人びとや事柄に対して形成された、判で押したような固定的な見方やイメージ。
「わたし作る人、ぼく食べる人」*11 一九七五年にハウス食品の即席ラーメン「シャンメン」のテレビCMのキャッチコピー。ボーイフレンドに即席ラーメンを作った女性が「私作る人」といい、そのボーイフレンドが「僕食べる人」と返す。
メディアを研究する女性の学者や社会運動家たち*12 
アファーマティブ・アクション*13 (affirmative action)積極的差別是正措置。差別が固定されている状態を解消するため、被差別の状態に置かれている人や集団に対して有利な社会条件を政策的に誘導すること。
ジェンダー・バランス*14 (gender balance)性差による社会参加の不均衡を是正し、均衡を回復すること。
バックラッシュ*15 (backlash) 一般的には、ひとつの潮流に対する反動や揺り戻しを指すことば。ジェンダーにかかわる領域では、ジェンダーフリーの運動や思想に対する反動や反発を指して批判的な意味で使われる。
フェミニズムに反感をもつ保守的なグループ*16 たとえば、二〇〇五年三月には、自由民主党の一部の議員が中心となって「自民党過激な性教育・ジェンダーフリー性教育調査検討プロジェクトチーム」(安倍晋三座長、山谷えり子事務局長)を発足させ、ジェンダーフリーは伝統的秩序を混乱させるという主張を展開している。
共同通信社の記者ハンドブック*17 共同通信社『記者ハンドブック第八版』一九九七年五月
ジェンダー・ニュートラル*17.1 (gender nutral)性差に対して中立的な態度や表現を指向すること。
パブリック・アクセス*40 (public access)広義には、公共の資源に市民がアクセスできる権利のこと。メディアとの関連では、市民が自主的にメディアに参加し発信すること。

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2010年09月21日

夏休み特別企画ラジオドラマによる連続大学講座「メディアってなに?」第8話

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第8話 
続「メディアが現実をつくりだす?
〜擬似イベント、ヴァーチャル・リアリティ、ハイパーリアリティ〜」
声の出演 
ナニ:佐藤ひとみ
教授:内屋敷保 
ヤン:金千秋
原作/脚本 山中速人
構成/編集 金千秋

○ モノローグ
先週に続いて、「メディアが現実をつくりだす?〜擬似イベント、ヴァーチャル・リアリティ、ハイパーリアリティ〜」の番組は続きます。メディアが作り出す世界は偽物なのか、もしそれが正しいとしても、それじゃ、本物と偽物の違いって何なのだろう? その疑問について、さらに教授は話し続けます。

教授 
そうなんだ。なにが本物で、何が偽物か。こんがらがってるよね。
ここで、もうひとつ例を出そうか。東京ディズニーランド*11のウエスタンランドは、アメリカにあるディズニーランド*12のフロンティアランドをコピーしたものだから、ウエスタンランドは偽物で、フロンティアランドが本物ということになるよね。しかし、それでは、アメリカのディズニーランドのフロンティアランドは本物か。アメリカ史に実在した西部こそ本物だと考えれば、ディズニーランドにあるフロンティアランドはコピー、つまり偽物だということになる。しかし、ディズニーランドというテーマパークとして、そこにオリジナルな価値を認めるとすれば、それらはすべてディズニー作品として本物ということになる。
つまり、本物か偽物かを判断する基準は、オリジナルとコピーの区別ではない。そもそも、レコードを作ったり、放送したり、インターネットでストリームしたりなどというような、「メディア化する」行為にはそれぞれ別々の意味がある。つまり、メディアを作るということは、本物から偽物をつくることではなく、別のあたらしい作品を社会におくりだすことなんだ。
ナニ 
そうか。ホノルルに住んでいたとき、コリアンの友だちがいたの。キッチンでインスタントラーメンを作っていたら、その子が、コリアでは袋入りの乾麺が本物のラーメンだっていうの。でも、日本じゃ、袋入りの乾麺はあくまでインスタントで、本物のラーメンは生麺なんだよね。でも、それじゃ、コリアのラーメンが偽物かというと、それはそれで本物なんだよ。つまり、同じ袋入り乾麺でも、日本からコリアへとラーメンのレセピが変わることで、偽物になるんじゃなくて、名前は同じ別の新しい食べ物に変わるということなんだ。
教授
そのとおり。ちなみにぼくは韓国式のラーメンも好きだよ。
さて、日本と韓国でラーメンが違っているのは、ラーメンに使われている食材や調味料などレシピが違うからだよね。このように違ったラーメンが生み出されるのは、違ったレセピがあるからだよね。これを記号学の視点でみると、食材の組み合わせとしてのラーメンに当たるのがコードで、その組み立て法であるレセピがコーディング・システムということになる。
ナニ 
コードとコーディング・システム? うーん難しそう。ナニ風にいえば、こういうことかしら。たとえば、ギターを弾くときは、和音をCとかFとかG7とかの記号で表すんだけれど、この記号がコードね。でも、「C」という記号をド・ミ・ソの和音のことにしようというルールが分からないと、「C」の意味か分からない。だから、誰が決めたか知らないけれど、ド・ミ・ソをCで表すというルールがコーディング・システムってわけね。
教授 
なかなかうまい説明だね。そう考えると分かりやすいね。
これをメディアに当てはめると、CDでも、DVDでも、テレビ番組でも、いやもっと広く考えて、現代の社会の中に生み出されるさまざまな情報は、すべて記号の組み合わせ、つまりコードを作り出していくことだといっていい。
フランスの社会学者のジャン・ボードリヤール*13は、このように、コードとしての情報を作り出す行為全般をシミュレーション*14と名付けた。そして、メディアによってシミュレーションされることで、本当はメディアの中の世界なのに、実在するかのようにみえる世界をシミュラークル*15と定義したんだ。分かりやすい例を挙げれば、マトリックスという映画*16に描かれる仮想現実の世界を想像してみればいい。
電子化されたメディア社会の中では、たんに人びとの生活がシミュラークルに取り囲まれていくだけではなくて、シミュラークルとしての感覚世界はどんどん増殖していって、人びとは、視覚や聴覚だけではなく、脳に直接刺激を与えるようなより強い感覚を求めるようになっていく。現実の世界からうける刺激をはるかに超えるような強い感覚。ボードリヤールはそのような感覚によってもたらされる知覚をハイパーリアリティ*17と名付けた。

ナニ 
ハイパーリアリティ? 超すごいリアリティ? 
教授 
ほらヴァーチャル・リアリティの装置の中では、ものすごい速さで宇宙を移動したり、真っ赤に解けた火山のマグマの中に入っていったり、現実では不可能な体験をコンピュータによってシミュレートできるよね。このはるかに現実をこえた疑似体験によって得られる感覚や知覚のことを想像すれば、ハイパーリアリティのことがだいたい分かるかな。
そして、ボードリヤールは、さらに考えを進めて、情報や知識の電子化が急速に進む現代社会では、人間の社会生活を支えている現実感自体が、このハイパーリアリティにとって変わられようとしているのではないかと考えたんだ。そして、その考え方をさらに進めて、現実とはシミュレーションの一つの形にすぎないのではないかと考えた。
ナニ 
そうか、わたしたちが現実だと思っているものは、実は、メディアによって仮想的に作り出されているものかもしれないというわけね。というか、何が現実でなにがハイパーリアルなものか、現在の世の中では、もうごちゃごちゃに入り交じって、区別が付かなくなってしまっている、いや、そもそもそんな区別なんか意味なくなってるのかもしれない。
教授 
ボードリヤールの有名な著作に、『湾岸戦争は起こらなかった』*18という本がある。これはある種の逆説を含んだ言い方なのだけれど、アメリカが一九九二年にイラクに対して始めた湾岸戦争の際、メディアを動員してまるでテレビゲームのようなピンポイント爆撃*19の映像ばかり公開して、クリーンな戦争を演出した。一方、イラクのフセイン大統領*20もメディアを意識して、人質をとったり、自分の軍隊の強さを演出するような映像を流したりと、情報操作をやった。人びとの戦争に対する現実感は、この2つのイメージの間で揺らいでいった。メディアが伝える戦争は、すべてシミュラークルでしかない。しかし、といって、実際にどんな戦争が行われているのか、なにが現実なのか、それを問うことが可能なのか、そうボードリヤールは批評した。
このボードリヤールの批評は、メディアをもうひとつの戦場として戦われる現代の戦争の性質をよく見抜いていたんだ。
ナニ 
でも、湾岸戦争がなかったというのは、なんだかちょっといいすぎのような気がする。だって、実際、湾岸戦争で使われた爆弾の大半は、ピンポイント爆弾なんかじゃなくて、一般市民の頭の上から大量にばらまかれる通常爆弾だったっていうじゃない。。
教授 
そう。たしかにボードリヤールの「湾岸戦争はなかった」という議論については批判があるんだ。*21ボードリヤールの議論がなりたつ世界は、物ごとの真実と虚偽の区別が意味をもたない世界だということになるから、たとえば、戦争や貧困の原因について、なにが真実かを究明しようとする努力も無駄なことになってしまうからね。
ジャーナリズムの世界では、真実が何かを追求することが使命だと信じられてきた。しかし、今度のイラク戦争がはじまったとき、アメリカのジャーナリズムでは、まるでそんなことは無意味であるかのように、自分の国の軍隊にばかり身びいきした報道が目立った。多くのアメリカの放送局が、真実と虚偽とを区別することは本質的にできない。なにが真実でなにが虚偽なのかは、立場によって違うんだから、アメリカの立場から報道すればいいんだと、開き直ってしまったんだね。
ナニ 
ヴェトナム戦争のとき、アメリカのジャーナリストたちは、悲惨な戦争を現場から報道して、戦争反対の世論を盛り上げたって父から聞いた。そんなアメリカのジャーナリスト*24を尊敬したって。
教授 
そうなんだ。それとイラク戦争の報道は真逆になってしまった。なぜそんなことになってしまったかについては、アメリカのメディア事情も関係している。一九八〇年代、当時のレーガン大統領の規制緩和政策*25が国民の支持を集めていた。政府の干渉を受けないはずの独立機関であるアメリカ連邦通信委員会も、規制緩和の一環として放送事業に対して課していた公平原則*25-2、つまり不偏不党で客観的な報道をしなければならないという原則を廃止してしまった。その後、さらに規制緩和は進み、自由にメディアを買収できるようになった。その結果、四大テレビ・ネットワークは、大きな資本に買収され、テレビ、映画、テレビゲームなど、いろんな種類のメディアを傘下におさめるメディア・コングロマリット*26と呼ばれる巨大資本が生まれていった。
アメリカのテレビは、ビジネス優先、娯楽優先の情報産業になっていった。イラク戦争では、当初いけいけどんどんのアメリカ軍の進撃を報道すれば、視聴率が上がるということで、テレビは次々と政府に迎合していったんだ。
こんな現状の中で、ボードリヤールが、すべでがシミュラークルだと主張することは、真実を追求するというジャーナリスト精神をくじいてしまったとも言えるかもしれないね。
ナニ 
メディアが作り出す世界を現実としながら、わたしたちが生きているということはよく分かったわ。でも、だからといって、どんな現実でも同じことなんだと言うことにはならないと思うの。今、目の前に見えている現実をきっちりとチェックすることが大切だと思う。それは、目にみえている現実が誰によって都合良く動かされているのか、情報をコントロールすることで何が隠されようとしているのかをみやぶることなんだと思うよ。そうしないかぎり、結局、わたしたちは、自分たちにとって一番惨めな現実しか手にすることができないんじゃないかしら。
みんなどう思う? 今週はこれでおしまいです。また、来週、聴いてね。

◆語句解説
東京ディズニーランド*11 千葉県浦安市に一九八三年に開設されたテーマパーク。アメリカのウォルト・ディズニー・カンパニーとの資本関係はなく、株式会社オリエンタルランドが経営している。ウエスタンランドは、アメリカのディズニーランドのフロンティアランドをまねて開拓時代のアメリカ西部の町並みを再現したテーマランド。
アメリカにあるディズニーランド*12 漫画家ウォルト・ディズニーがカリフォルニア州ロサンゼルス郊外に一九五五年に開園したテーマパーク。フロンティアランドは、アメリカの開拓時代をテーマとして、アメリカ川を中心にビッグサンダー・マウンテンなどのアトラクションが配置されている。
ジャン・ボードリヤール*13 (Jean Baudrillard)一九二九〜二〇〇七年。ポストモダニズムを代表するフランスの思想家、社会学者。主著に、『物の体系−記号の消費』(一九六八年)『シミュラークルとシミュレーション』(一九八一年)『湾岸戦争は起こらなかった』(一九九一年)など多数。
シミュレーション*14 (simulation)
シミュラークル*15 (simulacres)
マトリックス*16 原題The Matrix。ウォシャウスキー兄弟が監督した一九九九年製作のアメリカ映画。人類を仮想現実空間に幽閉し支配するコンピュータを相手に戦いを挑む勇士たちを描いたSF。
ハイパーリアリティ*17 (hyper reality)
『湾岸戦争は起こらなかった』*18 原題la Guerre du Golfe n'a pas eu lieu(1991)
ピンポイント爆撃*19 目標とする軍事施設のみ破壊することを目的として行われる爆撃のこと。絨毯爆撃の反対語。
サダム・フセイン*20 (Saddam Hussein)一九三七〜二〇〇六年。イラク共和国の大統領、革命政党であるバアス党の指導者。イラク戦争でバクダッド陥落の後、逃亡したが、アメリカ軍によって発見され、特別法廷で死刑宣告の後、処刑された。
「湾岸戦争はなかった」という議論については批判があるんだ。*21 
頭文字がFからはじまる某放送局*22 FOXニュース(FOX NEWS)二〇世紀フォックスグループの一角を占めるニュース専門のテレビチャンネル。
ベトナム戦争のときのアメリカのジャーナリズム*23 ベトナム戦争では、当事国のすべてがカメラマンや新聞記者などのジャーナリストの取材を許可したこともあって、多くのジャーナリストが従軍し、双方の側から公平に戦場の様子を直に取材し一般大衆に伝えた。
アメリカのジャーナリスト*24 たとえば、『ベトナム戦争』(一九六八年)を書いたジャーナリストのデイヴィッド・ハルバースタム(David Halberstam)一九三四〜二〇〇七年、や写真集『ベトナム』(一九七二年)のカメラマンのデイヴィッド・ケナリー(David Hume Kennerly)などベトナム戦争を取材した優れたジャーナリストたちがいた。
レーガン大統領の規制緩和政策*25 レーガン政権は発足直後の一九八一年に、歳出削減、大幅減税、規制緩和、安定的な金融政策の4本柱から成る米国経済再生計画を打ち出した。
公平原則*25-2 (Fairness Doctrine)連邦通信委員会が一九四九年に独自に定めた規則で、「電波の希少性」を根拠に、放送内容に公平性を求める原則。八五年に行われた撤廃の背景は、多チャンネルなケーブルテレビの普及によって「電波の希少性」の根拠が失われたこと。
メディア・コングロマリット*26 複数のメディアを集中して所有する企業複合体。現在、「タイム・ワーナー」「ディズニー」「ニューズ・コーポレーション」「ベルテルスマンAG」「NBCユニバーサル(ゼネラルエレクトリック)」「CBS」「バイアコム」の七大コングロマリットが世界のメディアの約九〇%以上を占めているといわれる。

posted by FMYY at 21:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ポッドキャスティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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